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にょ!

大相撲、カメラ、音楽、旅、暮らしなど。奇数月は 相撲ネタ多め。

    法要の日、親族のつながりと相続について考えました。

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    こんにちは、ともにょです。

    祖母の四十九日を終えました。昨日は天気も良く、暖かくて良い一日でしたね。穏やかな気分になりました。法要のあとに納骨して、親戚一同で食事もしました。

    最近、父方、母方、それぞれの親族と会う機会が増えました。幼い頃に祖父・祖母の家や庭、川や田んぼで遊んだ思い出。従兄弟と会い、従兄弟の子供と会う。ああだったこうだった話して、懐かしいものです。昨日は親戚の子供たちと一緒に土筆を採ったり、手を繋いで歩いたりしていて、不思議な気分になりました。法事では、長い間会わなかった親戚とも会います。元気だったおじさんおばさんも歳を取り、自分たちが大人になって、子供たちはまた私たちと同じように大きくなっていきます。

    こうやってめぐりめぐっている流れのなかに、私たちはいるのだと感じさせられました。田舎から都会に出ると、出身地方の親戚と会う機会は減ります。学校を出て仕事をしたり、友だちと会うようになれば、気づけば親戚とは長年会わないままだったりします。それでいいと思います。でも、場所は離れていても立場が違っても 親族は皆 共同体のように繋がっていて、時代を一緒に進んでいて、いまこうしている瞬間も自分一人だけの時間ではないのかもしれないな、という感覚になりました。

    自分のことばかりを考えていた私が、恥ずかしながら ようやくそう思える年齢になったのかもしれません。

    ところで、今回の法要のあと 財産や土地の相続に関わるような話が出ました。

    私も妹も、そしてどちらの配偶者もそういう「大人の話し合い」に参加せねばならない状況ですので、私たちもいよいよ大人になったんだなあ、という感じですね。まだまだ先の話だと思ってたんですけどね。少し勉強しておかないといけないかな、と思っています。

    強く感じたのは、父が生まれ育った土地、祖父・祖母が住んでいた家、耕していた田畑に対して、私の思い入れが自分が思っていた以上に強いということ。そこで作った野菜やお米を食べて私は育ちました。せっかく先祖が作った場所を簡単に売りたくない、手放したくないなという思いがいま、湧いています。思い出がつまった場所なのです。もし土地を手放すことになったら、私は自分の実家を失うよりも、喪失感が強い気がします。でも税金を払うほどに我々が土地を活用できるとは思えませんし、夫の実家とも遠く離れています。いま住んでいるとこから220キロ離れた場所を相続し手入れをするような覚悟はなく、、相続すること自体、現実的ではないのですよね。おそらく同じ県内に住む従兄弟に話がいくと思いますが、彼は自分で家を買ってますので それはそれで困るんじゃないかな、と。

     

    ネットで検索すると、親の実家の不動産を相続したくない、というようなワードで出てきます。「相続しないといけなくなる、困る」ということですね。それも分かる気がします。都会に生活の基盤があるから、、

    相続というのは、決してお金だけの問題ではないのですね。非常に悩ましい問題だなあ、と思います。意外なところに良いアイデアがあるかもしれませんし、皆で少し時間をかけて 考えてみようと思います。