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ともにょの うなぎロール

大相撲、カメラ、音楽、旅、暮らしなど。奇数月は 相撲ネタ多め。

    なくなるものと消えるものの話

    先日、夕飯のとき、何気なく家族と「なくなるものと消えるものの話」をしました。

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    福岡の 深夜の番組かなにかで視聴者からの依頼に答える「探偵ナイトスクープ」的な企画をやっていたことがあると。それで視聴者からの依頼というのが、昔、相当昔に博多の駅前に東芝の看板があった、それが何色の看板だったか思い出せないから確かめたいみたいなおじいさんの回だったそう。スタッフや女性タレントさんが東芝に行ったり当時の新聞とかを捜して真相を突き止めようっていう企画だったらしい。東芝にも新聞社にも白黒でしか残ってなくて確認ができなかったけど、結局 青と白とかの色だったらしくて、当時の8mmフィルムでたまたまそこを映してた別の市民の方の協力でわかった、という話。

    そこから派生して、「変わっていくもの・変わっていくことをいとわない人、新しいものが好きな人」と、「変わっていくことを惜しんだり、古いものに愛着がある人」がいて、前者と後者の割合は圧倒的に前者が多いけど、少なからず後者も一定数いる。列車の引退や動物園の閉園、老舗の閉店、路線の変更などです。 

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    それで、たとえば再開発でこの辺が道路が変わってとか立ち退いてとかの情報があれば、「じきになくなるそうだから、記録に撮っておこう」とか思うきっかけになるんだけど、そうではなく、急になくなる場合がありますよね。有名な建物とかそういうのはではなく、自分にとって見慣れているものでも、世間的にはどこにでもあるような風景。たとえば私が昔飼っていた犬の散歩で使っていた散歩コース、いまでは環状線がぶったぎって簡単にはその跡をたどることはできないし、「ここで曲がって・・・」という角も存在しません。おじいさんとおばあさんが住んでいた平屋はいつのまにか空き家になっていて、こないだ通ったらそこに新しいワンルーム向けのアパートが建ってた。

    そういう、移り変わる風景、そこにあったんだけどもうないものっていうのはなんの前触れもなくいなくなるし姿が変わる。町や道はずっと同じっていうことはなくて(名残りはあるけど)、変わっていくもの。それは仕方がないことだから、それを何らかの形で残しておくためには人の記憶とこういった写真やら絵やら映像しかない。しかし人の記憶とは曖昧なもんで、けっこう時がたつと変わっていくもんだし「それでもいい。変わっていってもいいじゃない」と思う部分も確かにあるけれど・・

    だから、少なくとも自分の愛おしい日常の風景は自分が残しておきたいと思いました。たとえば幼い頃に自分が住んでいた団地。住んでいたころと今はもう同じではないけれど、それでもあの団地は古いから撮影しておかないといつなくなるかわからない。無くなったらもう手遅れだと思う。それから学生時代によく歩いた道のルート。家から駅までとか、駅から会社までとか、あの病院にいくときの近道、公園のベンチ、、、そこから見える風景。「そんなの撮っておいてなんになるの?」「なにか意味があるの?」と言われたら、意味はないとおもう。「意味がないことでも、やりたいと思うこと」はいくらでもあるのです。