牛島さん
父方の祖母が永眠しました。89歳。7年ぶりにじいちゃんと向こうで会ってるんだろう。
お墓には先にうちの母親も入っているから、賑やかになるだろう。
通夜は斎場に泊まった。火葬場が混んでて、うしろに日にちが延びた。通夜、葬儀、火葬、おとき、収骨、初七日、、
涙を誘うBGM、斎場スタッフのしめっぽい声色、「礼拝」のトーン。 母親が亡くなり、立て続けに伯父が亡くなり、ここのところ葬儀の回数が多すぎて、正直マヒしている。かなしいのに涙が出ない。
大学生のころ。稲刈りを手伝いに行ったりしたら「もう帰るとね もう少し泊まっていかんね」ってばあちゃんが良く言ってたなぁ。
ばあちゃんははっきりとした人で、芯の強い人でした。
幼い頃、布団のたたみかた、箒の掃きかたとか、お茶碗の洗い方を厳しく教えてくれた。
電話をかけたら「もしもし」と言うだけで「ともちゃんね?」と言ってくれた。訪問販売の高いメナードの化粧品を使わず取っておいてくれて、「いいものだから使いなさい、おなごじゃろ」と大学生のころ言われた。当時は化粧をする習慣がなくて、高い化粧品なんてもったいない!と私はかたくなに断った。
ばあちゃんは次第に認知が進み、晩年は父の事も私のこともわからなくなった。最後に会ったときは、牛島を名乗っていた。ばあちゃんの旧姓は牛島だったから、、
葬儀の帰りは渋滞で時間がかかった。まだゆっくりしていけばいいのに、と ばあちゃんが言ってるようだった。サービスエリアで休憩を取りながら、時間をかけて帰った。