にょ!

大相撲、カメラ、音楽、旅、暮らしなど。奇数月は 相撲ネタ多め。

    当時31歳の私が経験した、母の癌。入院編「モンスター娘」

    おはようございます、ともにょですー。むっちゃ天気いいです。洗濯物はよく乾くし、植物たちも水をよく吸うので、こまめに水をあげないと。我々もこまめに水を飲まないとですね☆

    昨日のつづきを書きますね~。

     入院前

    病院のベッドの都合上、即入院にはならず、2週間ほど待つことになりました。その間、母は自分の荷物を準備したり、荷物の整理をしたり、いつ復帰できるか分からない会社を辞める手続きをしたりとテキパキ動きました。

    思い立ったように父が「入院したらしばらく動けなくなるから、今のうちに家族で旅行をしよう」と言い、母を連れて日帰り旅行に行くことになりました。妹一家も参加し、皆で長崎のほうに食事とドライブに行きました。その帰りのサービスエリアで、母は病気のことを妹に打ち明けました。旅行の前日くらいまで母は動けていましたが、旅行当日はグッタリしていましたので、心配になってきました。

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    その旅行の後、病院から「予定より早くベッドがあきました、週明けに入院できますか?」という電話が入り、入院が早まりました。入院の前日、母が布団にくるまって「怖い」と言っていました。安心させる言葉がみつからず「麻酔もされるし、大丈夫と思うよ。帰ってきたらゆっくりできるように寝室もきれいにしておくけん」と言いましたが、おそらく「怖い」というのは手術に対してだけではなかったでしょう。手術してその細胞を詳しく検査したいと言われていたので、それが怖いということだったのではないかと。「最終医療のがんセンターのベッドが予定より早く空いたのも、きっと誰か亡くなったからに違いない・・」とネガティブな発想が次々と出ます。かける言葉が見つかりません。※実際はそんなことはなく、別の病院に転院することもあるし、早めに一定期間の抗がん剤治療を終えて自宅に帰るひともいます。「知らない」「知識がない」っていうのは、不安の原因になるし 怖いですね。

    入院

    たくさんのさまざまな検査ののち、国立がんセンターに入院となった母は、すぐに卵巣を摘出する手術となりました。手術の日も大雨でした。このときは妹一家もやってきました。当初4時間の予定が 6時間かそれ以上かかり、待合室や売店をうろうろして待ちました。手術が終わると、館内放送で呼び出されます。術後、父と私は長い時間の手術によって取り出された卵巣を見せられました。妹は「みたくない」と拒否しました。

     

    さっきまで体内にあった母の臓器が目の前にあるのです。二つある卵巣のうち、一つは透明で、まるで無色透明のスーパーボウルのよう。もう一つは肥大しており、ラードのかたまりのように白濁していて、うっすら肌色でした。ブヨンブヨンしています。これが母の癌の元凶なんだと思いました。(結果的に元凶は違ったのですが。)定期的に婦人科検診に行っていれば、こんなに大きくなるまで気づかないということはなかったろうに・・・と。後悔は何の役にも立ちませんが、このときばかりは家族みんながいろんなことを後悔しましたし、原因を追い求めました。

    がん細胞が広がらないように、お腹に広がっている腹膜も摘出されました。それは濡れた枕ケースのようにベロンとしたものでした。

    先生は汗びっしょりになって、摘出したものから細胞を切り取ってそれをさらに病理検査にかけること、今後の治療についてや、合併症が出る可能性など説明してくれました。ほうほう、と目の前の臓器を見ながら、これがさっきまで母の中にあったものなのか、よく頑張ったね~、と思いました。

    術後の経過観察

    術後2日間はICUのベッドで朦朧としていました。手術によって生じる血栓(血のかたまり)が脳などの主要な血管に詰まってしまわないよう、血液サラサラの薬を投与されます。足がむくむので着圧の靴下を履いて足を高く上げます。血圧が異常に下がったこともありました。ICUへの立ち入りは制限されており、感染などを防ぐため、私も頭にキャップをかぶって中に入りました。「再春館製薬のCMみたいな格好」を想像して下さい(^^)

    意識が戻った母はICUから出て別の病棟に移りましたが、力もなく か細い声でゆっくりしか喋れませんし、色んなチューブがのびて、自分では歩けませんし、痛みが出るので すっかり弱弱しい姿になりました。幸い血栓による合併症は出ませんでした。母の病気を知った親戚から見舞いに行きたいという要望がありましたが、母親に「断って欲しい、こんな姿を見られたくない」とお願いされ、各所に見舞いを断る連絡をしました。結局、病室に来るのはいつも私だけでした。

    家族による患者への関わりのバランス

    この頃、父親の仕事はどんどん忙しくなっていき、深夜まで残業する日が続きました。私はと言うと、当時お世話になっていた会社側が都合をつけてくれ、お休みを頂いたり「皆より早く来て 皆より早く帰る」などイレギュラーな勤務方法を取ってくれました。家では、朝は父親に朝食を作り、夕飯も準備してから自分も早い時間に出社し、フルタイムで働いた後は会社から病院に直接バスで行って、洗濯物などを受け取り、病院から帰って洗濯して 夕飯を作って父親に出して自分はお風呂に入る、というような毎日でした。

    親戚の中には「闘病生活に専念するために、仕事を辞められないの?」という者もいました。私もそれを一瞬 考えていたので 正直 迷いましたが、伯母に「本人(母)は 自分のために仕事を辞めて欲しくないと思ってるんじゃないかな」と言われ、ハッとしました。やめられないのか?と聞いてきた親族は良かれと思って言ってくれたのでしょうが、それは直接自分に関係がないから 何の根拠もなく言えるのです。母の性格上、私が仕事を辞めたら「自分のせいだ悪いことをした」とあとあとずっと責任を感じるだろうし、私がそこで辞めてもしょうがないことです。今は、早まって安易に辞めなくて良かったと思っています。

    がん患者の家族の お仕事

    私個人的な考えですが、がん患者家族の仕事は、シフトや出勤などの調整は必要であっても、それが患者本人でない限り 退職/休職は勧めません。病院という場所は、健康な人もずっと関わっているとエネルギーを使いますし、無意識のうちに覇気を吸い取られます。なので病院にかかりっきりになることは控えて、外の空気を吸ったり、職場に行って頭のスイッチを切り替えることも必要になってきます。もちろん家族の闘病に共に寄り添うのは大事なのですが、お医者さんと相談の上、なるべく最低限 自分の仕事には行ったほうがいいと思います。そして病院に行けるのは 自分だけではないと考えること、自分以外の人を頼ることも、必要となります。「親に近いから」とか「一緒に住んでいるから」と、毎日のように通っていては、自分の生活や精神がお留守になってしまうからです。

    このときそのことに我々家族は気づいていませんでした。病院からは「娘さんは明日来れますか?」とか「お父様は来れないようなので明日娘さんに書類をお渡しします」とか「○○日に医師からの説明があるのできてください」など、病院側は家族であれば誰でも良いので 家族のうち 誰かが来れることを前提に話が進みます。父親の仕事の都合がつかなかったり、妹も保育士の仕事を休めなかったりして、次第に私だけが病院に通うようになっていましたので、看護婦さんや医師も必然的に私に大事な話をします。私自身も会社が都合をつけてくれているのを良いことに「大丈夫!私がいけるよ!」と言っていました。

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    ご飯を病院で食べる日も多かったです。

    第三者の疑問

    この状況を客観的に見ていた彼氏(いまの旦那さん)が、「おかしい」と言い始めます。「なんでともにょ(私)だけが 毎日のように 病院に行ってる?なんで一人で先生の話を聞いてお父さんや妹に伝えてるの?皆が協力して行かなきゃでしょ」と指摘をしてくれました。(正論!!)え?と思いました。それまで病院通いに夢中に通っていたので、ひとりであれもこれもやっていることに自分では気づいていませんでした。さらにその頃 同様に職場の上司から「ところで 言ったら悪いけどご家族は?お母様のお世話をできるのは、あなただけじゃないよね?」と言われました。おそらく私が一人で抱え込んでしまっている状態を見抜いたのだと思います。もしかしたら長いことイレギュラーで勤務しているため、何らかのしわ寄せが生じて、周囲からクレームが出たのかもしれません。

    モンスター化してた

    それまで、「会社も理解があるし、病院にも家にも一番近い自分がいけるから」と毎日のように病院に通っていましたし、正しいことをしていると思っていました。でも本当はそれは正しいのではなく、家族みんなで(ときには親戚も巻き込んで)がん患者と向き合わないといけないことなのです。

    なのに私はあたかも「母のことをわかるのはわたしだけなんです」という知ったような顔をして先生とのパイプ役をしたり、必要なものを持っていったり帰ったり、ほうぼうに連絡を入れたりしていました。母から「明日は何時に来れる?頼みたいことがあるんだけど・・・」と言われると行かずにはいられませんでしたし、「今日は来なくて大丈夫よ」とメールが来ても、なんとなく心配で行く日もありました。彼氏や友人と会うこともせず、本当にせっせとやっていました。良く言えば「献身的」でしょう。それに対して患者本人はもちろん 父親と妹が甘えるのは当然です。実際「お姉ちゃんいつもありがとう、いけなくてごめんね」と妹はなかなか来ませんでしたし、父親も週末だけ病室に行くような感じになりました。また、患者本人の自立性も奪っていたと思います。母親に頼られている!と思った私は、たぶんこのとき、まるでモンスターペアレンツのようになっていたと思います。

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